【お知らせ】お施餓鬼を厳修&【コラム】悟りへの呼び声 ― お釈迦さまが聞いた目覚まし

投稿日:2026年6月1日 更新日:

【お知らせ】お施餓鬼を厳修

5月16日、令和8年度陽岳寺山門大施餓鬼会を厳修しました。皆さま、ありがとうございました。

約60名もの多くの方にご参加、また本堂への参列を賜りました。代理でのご供養をご依頼された方には、散華とお持たせを郵送いたしました。

【コラム】悟りへの呼び声 ― お釈迦さまが聞いた目覚まし

陽岳寺は、臨済宗妙心寺派のお寺である。日本における伝統仏教には13宗56派あり、それぞれに違う。しかし根っこは同じであり、目当ても同じ。

その目当てとは「安心」である。

どのご葬儀でも僧侶は同じことをしているが、お読みするお経は違う。

他宗たとえば浄土真宗では、蓮如上人による手紙『白骨の御文章』をよく読む。

その文章中に、「後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)」という言葉がある。

〜。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく「後生の一大事」を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。〜

「後生の一大事」とは「生の後に大事がひとつある」ことを述べているともいい、「いま・ここ・わたし(生まれた後のひとつ)という大事」と時間軸で説明しようとすることができる言葉でもある。

安心して帰っていくことのできる世界、魂の故郷がはっきりとわかっている。もし分かっていれば、それすなわち悟っているということになる。

自分とは何者であるか。なんのためにここにやってきて、ここが終わったらどこへ行くのか。大きな謎の解決、それが「後生の一大事」であり、禅門では「生死事大(しょうじじだい)」という。

仏教のはじまりとなった人、お釈迦さまはここを目覚めたため、ブッダ(目覚めた人)と呼ばれる。

自分が生きている意味はこういうことなんだ!迷わなくなった!とハッとした。なんということはない、ただ眠っていた目が醒めただけである。

なぞなぞを解いて「こういうことか!」と気付くアハ体験を得たような。下積みがあって、きっかけがあって、お釈迦さまは「起きろ!」という呼び声に気づいたのだ。

◆呼び声に気づく

お釈迦さまはお城のあるじ夫婦のもとに生まれた。そして予言者から言葉をかけられる。「この子は大成する。この世の大王になるか、はたまた最高の出家者として人々を救うだろう」と。

出家されてはたまらない!跡取りの王子として成長してもらわねば、とお釈迦さまの父親は思う。そこで人生の苦しみを見せず、王子教育を深めるのだが、うまくいかない。青年となり、侍者と二人きりでお城から出てしまう。機は熟してしまった。

門から出て3人の人物と出会うのだ。まず、老人と出会う。そして、病人と出会い、ついには死人と出会う。

出家前の王子のお釈迦さまの周囲には、楽しみだけがあった。歳を重ねた者やくさいものも、すべて存在しなかった。

仏伝つまり説話ですから、そんなことないだろう!と言いそうになりますが、とにかく王子時代のお釈迦さまは知らない。

未知のものを見て、最終的に自分もそうなるのだと思い知った衝撃はすさまじいものでしたでしょう。こいつはたまらんと思ったはずだ。

そして最後に修行者に出会う。すべてを知る修行者の顔は、歩みは安らかだった。

帝王学を学び、人と出会い、出家の志を得た。これが、お釈迦さまの、朝に鳴り響く目覚まし時計の呼び鈴のひとつだった。

◆抱きしめる

「一度きりの人生。その歩みを抱きしめるしかない。」

人は生まれ、歳を重ね、病み、亡くなっていく。必ずしも結婚するわけでもなければ、命を終える順番があるわけでもない。

この事実とは、頭で知っていることだ。納得できなくとも、分かっていることだ。

分かっているけれども、「起きろ!」という呼び声を聞いていない時がある。目を伏せていることもある。

臨済宗の語録『臨済録』にこうある。

〜。上堂。云く、「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
時に僧あり、出て問う、「如何なるか是れ無位の真人」。
師、禅床を下がって把住して云く、「道え道え」。
その僧、擬議す。師、托開して、「無位の真人是れ什麼の乾屎橛ぞ」と云って便ち方丈に帰る。〜

はじめの一文の現代語訳:「価値判断のつけようがない、一人の本当の人間、真人間がいる。仏が面前を出入りしている、それを見ろ!」

目の前にある現実をそのままに見ろ!起きろ!気づけ!との呼び声を示している。

私たちは「自分の人生が、一番愛おしい」と感じて生きている。一度きりの選択を、精一杯抱きしめている。そんな中「後生の一大事」を胸にかかえていながらも気づくことがある。気づく必要がある。

お釈迦さまが門を出て3人に出会い出家を志したのは、そこに至るまでの素養があったからだ。

亡き人との出会いも「起きて!」という呼び声だ。

当時の人たちがどんな想いで生きてどんな動機で行動したのか深く味わう。そしてそれを自分の人生にどう活かされるのか、それぞれが選択する。

「先人の知恵を越えて、今の自分の色で生きる」。

帰ってくる先祖たちを迎えるお盆も「起きて!」の呼び声である。(住職)

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