【コラム】業の風が吹く

投稿日:2018年9月1日 更新日:

お暑うございます。来年以降もこのような気候が続くのであろうと予想しています。平成最後の夏の暑さは、平成以降の夏にも引き継がれていくことでしょう。
お盆でお経を読みに各ご家庭を伺ってまわっている最中、ふっと吹いた風に気持ちが軽くなりました。基本的には熱風ばかりでしたが、そのなかにあるたまの涼風がまたありがたかったです。
さて、山田無文老師という方は、ご自身が結核で療養していたとき、ほおをなでるように吹く風に、「大いなるものにいだかれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」と詠みました。
猛暑の夏にも、涼風のありがたさです。ここまで暑いと、本当に涼風はありがたいもの。すーっと気持ちいいものだと実感します。
一時の風に、山田無文老師は「おおいなるもの」を見出します。

業の風が吹く。

仏教の天文学では、「業の風が吹く」ことで世界が生まれ、世界が消滅する、とします。

業とは、行いです。口で言ったこと、身体でしたこと、こころに思ったこと。

噺家 立川談志は「落語とは業の肯定である」と言ったそうです。
業の肯定。
落語とは、噺家が登場人物や第三者視点になりかわり物語を進めていきますが、様々な人物が登場します。えらい人からケチな人、粋な人。そして、どうしようもない人。
どうしようもない人。どうしても酒をのんでしまう。ありがてえと後先かんがえずに長い名前を子供につけてしまう。お金がないから自分の部屋に家具を置いてあるつもりにしてしまう、花見の弁当を見立てで作ってしまう。盛大に勘違いをしてしまう。
「どうにもバカなやつだね」と、くすっと笑ってしまうのは、自分もそんなどうしようもなくて、バカなやつでもあるからでしょう。

落語の噺とは、どうもしようがない人だけが、業を肯定してくれているわけではないようです。
えらい人も、えらいことをする以外にどうしようもないのでしょう。バカになれない人も、そのままでしかいられない。ケチな人も、ケチ以外にできない。仕方がない。
えらい人も、いい人も、わるい人も、どうしようもない人も、みんな心底どうもしようがないとそのままに肯定されている。だからこそ長く楽しまれている。業の肯定であるからこそ・・・と考えます。

楽しい行事。考えただけでもつらい出来事。現実には、様々なことが起こります。私たちに降りかかります。自然が起こすこと、そして人が起こすこともあります。
悪いことが起きたのは仕方がない、凶悪な事件を起こしたのは風のせいだ、と肯定したいわけではありません。それは悪の業論といって否定されることです。

業の風が吹く。
日差しの強い外に出ると大変な暑さですが、そこに吹く涼風も。死の淵にあった山田無文老師の涼風も。喜びの日々にある風も、深く悲しみにくれる時の風も、業の風。

業とは行いであると申しました。一時の風に「おおいなるもの」を見出すように、『業の風が吹く』とは、あの風に業を見出すことを薦めているようです。
自分の行い、それだけではなく・・・。
父の、母の、子やきょうだいの、妻の、夫の、家族の、親戚や知人、まわりに住む地域の人たちの行い。木々や草花、虫たちあるいは大自然の行い。
風とは、空気の移動にすぎません。ただ風が吹いただけ。そこに、なにを見出すかが、人間の営みにはしみついています。
9月は平成最後の秋のお彼岸です。
向こうの岸から吹く風はどんな風でしょうか。(副住職)

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