【コラム】らくごという供養

投稿日:2020年10月1日 更新日:

彼の岸と書いてお彼岸です。あちら側と、こちら側。あの世とこの世。悟りの世界と迷いの世界。お彼岸とは、彼の岸を思う期間というお墓参り強化週間です。

彼の岸を思うとは、どういうことでしょうか。それは「自分の生と死の距離感、いまは亡き人との距離感を考える」ではないかと思うようになりました。お参りをする意味のひとつでもあります。

いまの時代、自宅でご家族を看取る、自宅からお葬式を出す。なかなか無いことです。

亡くなるときは病院ですし、自宅で亡くなったら警察を呼ばなければなりません。悲しいことですが。乳幼児の死亡率もかなり低くなった現代において、死はどれだけ身近でなくなったのか。

もちろん、病が見つかり毎日のようにお見舞いをして、長い闘病生活をともにして、という方もいらっしゃるように境遇は様々です。

おひとりおひとり、自分の生と死の距離感、わたしと亡くなられた方との距離感は違う。ここを考える期間として設けられているのが、彼の岸を思うお彼岸ではないでしょうか。

[故人の思いに自分の気持ちが引きずられて、頭の意識が向きすぎていて、すこし距離を取った方がいいのかもしれないな。]

[文字通り心を亡くして、忙しく生活をしていて、最近は故人を思うこともすくない。夢にも出てこない。お線香と花をあげないと。]

故人と対面し、向き合うことが供養のはじまりです。供養には、故人を思い出し、自分の命のなかに取り込む、生き方をすくいとることが求められるからです。

◆らくごという供養

11月最終日曜日は御祈祷と演芸会です。毎年、6代目三遊亭円楽師匠よりご紹介の先生や噺家さんに、お楽しみの時間をいただいております。残念ですが、今年は落語はお休みです。

落語とは、お寺にぴったりではないかと思っています。その理由は2つです。ひとつは落語の発祥はお坊さんの説教という説があるため。もうひとつは落語の噺とは「どのような人でも、(噺に落とし込まれることで、)いい人生つらい人生そのままに、人間の存在が認められる」からです。

目の前のことをありのままを受け止める、観察することが仏の教えのひとつでありますから、お寺にぴったりでしょう。

どんな人生であろうと、間抜けであろうと、頭が良かろうと人は死にます。死ぬということは悲しいことです。江戸時代に生きた、つまりすでに亡くなっている、悲しみを迎えた市井の人について語っているのが、じつは落語です。

そんな悲しみを迎えた死人たちの人生をそのままに、噺としてすくいとっている落語とは、どのような人生を送ろうともその人はその人として生きていたことを肯定されることを証明しているように思うのです。

噺家さんがおひとりで、右を向いて動き、左を向いてしゃべり、さまざまな登場人物を使い分け、お話を展開する。

古典の時代設定はたいがい江戸時代でしょう。2、300年前に生きていた人たち。その人々には、えらい人もいれば、どうしようもない人もいる。長屋の大家、ご隠居、お侍さま、熊さんにはっつぁん。

おはなしには人情噺、落とし噺、教訓めいたもの、怪談噺などがあります。「芝浜」の酔っ払いは最後には改心しますが、落とし噺のたいがいはどうしようもない人の、どうしようもないまま終わる笑い話です。

「寿限無」の少年の名前は、寿限無のままサゲがきますし、寿限無少年のお父さんお母さんは和尚さんの意見をそのまま聞く素直さです。「時そば」の間抜けは、お勘定をごまかす手法をやってみたくて失敗、泣く泣く多めに払います。もちろん彼は間抜けのまま話を終えていく。

それでもいいのだ、と落語は落ちをつけます。

私たちも、どれだけ偉い人にも、どうしようもない時があります。限りある命も終えるときがある。悲しいことです。

あんなことそんなこと、うれしいことも悲しいことも、広大な志で、平等な心に住み、思慮分別なく受け止め、憎むこともなく渇愛することもなく いること(捨無量心)が供養のひとつです。

落語は、はじまったらば、終わります。淡々と、右に書いたように、さらりと登場人物たちの悲喜こもごもが演じられます。

江戸時代の登場人物が亡くなって、200年、300年が経っています。それだけの長い時間を故人の供養は為され続けていくのだと思っています。(副住職)


 

【お知らせ】市童のらくご

10月より落語の勉強会がはじまります。
91年生まれの年若い二ツ目ですが、古典をひたすらに精進している彼です。

柳亭市童(りゅうてい いちどう)による、「市童のらくご」です。お越しください。

  • 日時 10月27日(火)、11月10日(火)12月18日(金)
    開場19時 開演19時半
  • 木戸賃 予約1500円 当日1800円
  • 備考 マスク着用を願います。体調の悪い方はご遠慮いただきます。高座と客席とのあいだに透明ビニール幕をはります。ご理解とご協力をお願いいたします。

ご予約はお寺にご連絡いただくか、050―5873―9336(留守電)またはメールichido.yoyaku@gmail.comに、「何の会か、代表者の氏名、人数、連絡先」を願いします。

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