【ビデオ講話】座右の銘は「向かうところ道なし」

投稿日:2023年5月20日 更新日:

先日、人気声優たかはし智秋さんとご一緒しました。座右の銘として「向かうところ道なし」を掲げて生きているというお話を伺いました。
キャラを立て、独自路線を貫き、工夫して声優業界を生き抜いている彼女。そんな彼女の「人生の転ばぬ先の杖言葉」に関連してお話をさせていただきます。
10:39 途中にあって家舎を離れず『臨済録』
15:32 行く先に 我が家ありけり かたつむり
17:54 〈まとめ〉大信根(信じるこころ)、勇猛心(奮闘するこころ)、大擬団(向き合っていくこころ)をもって道を歩む

座右の銘とは、これがあれば安心していられる。自分を励ましたり、戒めたり、支えたり・・・といったこころ転ばぬ先の杖言葉です。
職業「声優」。楽器をひいたり、歌を歌ったり、ダンスしたり、グラビアしたり、と活躍の場・できないといけないこと・求められることの幅が広い仕事になっています。
向かっていくところに道がない、をどのように受け止めるか。しのぎを削る世界で、先人たちが文字通り先に行って。地面が踏みしめられて道ができあがっている。
そんな踏みしめられた道が、向かっていくところにはないのだ。それくらい独自で、工夫で、と歩んでいく覚悟が「向かうところ道なし」であろうか。道なき道を歩んでいくのだという心の表れである。

では逆に、踏み固められた道があったとしよう。あったとしても、十分に利用できるかどうかは分からない。令和の世となって時代が変わると状況も変わる。雨が降ったら山道もグチャグチャで、景色も見通しも違ってくる。まったく同じ歩幅で、あゆみが重なることはない。通り方が違うのだから、あると思っていた道はないのだ、なまじっか先輩たちの歩んできた道が見えているだけに、惑わされそうになる。いやいや違うんだぞと、道はないぞと戒める「向かうところ道なし」である。

自分の人生道を歩む。これまで歩んできた道のりが、私の背中が「私の道だ」と言うことは可能だろうか。
さて、道とは一直線で前と後ろのものでしょうか。平面?立体?なんにしても「わたしの現在地」は必要である。そもそも前だ後ろだというのは状況によって、自分の気持ちで変わる。のであれば、いままで歩んできた道のりだけが「わたしの道」とは言いづらい。自分の立っている足の裏だけが「わたしの道」と言えそうだ。

自分の立っている足の裏、そこに深い安らぎを持っており、精進に励みたいものである。
深い安らぎ・悟りとはなんであろうか。「大信根(信じるこころ)、勇猛心(奮闘するこころ)、大擬団(向き合っていくこころ)」。
行く先に 我が家ありけり かたつむり。どこに行くにしても我が家がある。深い安らぎ・悟りがある。その家を背負いながら、修行の道を歩んでいく。
「大信根(信じるこころ)、勇猛心(奮闘するこころ)、大擬団(向き合っていくこころ)」の、ほとけごころの本拠地をもって人道を歩んでいきたい。
たかはし智秋さんがこの言葉を掲げて生きているように、私たちも生きていきたいものであります。

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