【コラム】待つ力、持つ力

投稿日:2023年12月12日 更新日:

【お知らせ】ご祈祷会 開催

11月26日午前11時より、令和5年ご祈祷と演芸会が行われました。ご参列の皆様とともに、過ぎゆく年の無事を感謝し、来たる年の無事を祈りました。演藝の時間は柳亭市童さんに楽しませていただきました。前座は三遊亭二之吉さんでした。

祈祷した「般若札」は令和6年の年回忌のお知らせとともに年内に郵送します。

 

【コラム】待つ力、持つ力

紅葉は目を楽しませてくれますが、今年は秋らしい気候はなかったように思います。急に寒くなりました。

「寒さに耐える」の内容を細かく見てみます。例年冬は寒くなることが分かっています。インフルエンザも流行しますから、予防接種を受けて重症化を予防します。本堂に灯油ストーブを出して暖めるように準備をします。寒さから逃げたくもなりますが冬なりの楽しみを見出します。冬がなければ春も楽しくありません。

耐えることを仏教で申しますと「忍辱(にんにく)」があります。忍辱の実践は良い姿だとして賛嘆します。

◆辞書(広辞苑、禅学大辞典)の説明

辞書で言葉の意味を調べます。追加項目についても併せて記載します。

「忍辱」を広辞苑でひいてみます。

もろもろの侮辱・迫害を忍受して恨まないこと。

追加項目「忍辱の袈裟」

忍辱の心があらゆる外障から身を守ることを、袈裟にたとえていう語。のちには、単に袈裟のことをもいう。

 

「忍辱」を禅学大辞典でひいてみます。

六波羅蜜の一で、たえしのぶこと。意訳 忍・安忍とも。

追加項目「忍辱衣(にんにくえ)」

袈裟の別称。忍辱心が、人間の心性を護るように、衣は外的外障から身体を守るゆえに、この呼称がある。

追加項目「忍辱行(にんにくぎょう)」

十善行の一。また六波羅蜜・十波羅蜜の一。もろもろの侮辱悩害をよく忍耐して、うらみの心を起こさない修行。

追加項目「忍辱波羅蜜」

意訳 忍度。六波羅蜜・十波羅蜜の一。菩薩の行としての忍辱。耐怨害忍・安受苦忍・耐察法忍の3種があるとされる。

諸法の真理を正しく諦観認識する「耐察法忍」によって、他からの怨害を受けても、これによく耐え、衆生を利益利済するのが「耐怨害忍」であり、自己の遭遇する苦難逆境を忍受し、これに安住して退転することのないのを「安受苦忍」という。

◆「我慢」

耐えるというと我慢も思い浮かびますが、忍耐というよりもワガママという意味が強い。「我慢」を広辞苑でひいてみます。

①自分をえらく思い、他を軽んずること。高慢②我意を張り他に従わぬこと。強情③耐え忍ぶこと。忍耐④入れ墨のこと

 

「我慢」を禅学大辞典でひいてみます。

七慢の一。四煩悩の一。我を固執して心の驕りたかぶること。

三毒煩悩などによる種々の苦悩が多く、これを耐え忍び堪忍するから娑婆世界を堪忍土、または忍土と言います。

現実世界を忍土、すなわち忍ぶ土地とはなかなかに手厳しい。護寺会便りの前半も堪忍土でしたでしょうか。辞書による説明が続いて耐えに耐えたかもしれません。

私たちは、我慢をしたのだから楽しみが待っていてほしい!と思ってしまう時があります。「我慢」を払うことで「ごほうび」を得る。売買契約のように。我慢をしたという条件を達成できたのなら、見返りがあって当然。これではまるでお客様気分であって、あまり良い姿とは言い難いし、生きづらい。そこでおすすめなのが「忍辱」です。

◆忍をして菩薩(良い姿)となる

菩薩の行としての忍があります。その忍とは3つあり、耐怨害忍・安受苦忍・耐察法忍だと説明がありました。つまり、これら3つの忍をすれば私たちは菩薩です。そしてすでにしています。冒頭の「寒さに耐える」です。

「耐察法忍」世の真理を見定め、腹落ちをする。例年冬は寒くなることが分かっています。

「耐怨害忍」耐えて、自他の利益となるよう行動する。インフルエンザも流行しますから、予防接種を受けて重症化を予防します。本堂に灯油ストーブを出して暖めるように準備をします。

「安受苦忍」腹落ちした世界に生き、避けない。寒さから逃げたくもなりますが冬なりの楽しみを見出します。冬がなければ春も嬉しくもありません。

「忍」、本当の我慢や耐えるとは、なにかと取引をするものではないし、ただ辛いだけのものではない。

考えてみれば、同様のことを私たちは普段していませんでしょうか。理不尽なことがあったり、辛く苦しい時、勉強しなければならない時。分かりやすさに逃げない時。

こういうものだ、やるんだ、この世界を認めよう、としているはずです。

護寺会便りの前半で辞書の説明が続き、こういう意味もありそういう意味もあってあんな意味もある、と保留が続きました。短期記憶としてこれらの意味を持っていてください、あとで使いますから、と頭の中に保つように抱えていただきました。

待つ力、持つ力といっていい。

条件反射で断じない。思ったことをすぐ口や身体に出さない。気に食わないから、と邪険にしない。分かりたくないから、と目をそむけないことではない。理解できない問いを閉じないでいること。「忍辱」とは生き方の態度である。これを禅門では日常底という。

そうは言っても現代人には時間もありませんし、正解の即答を求められる世の中です。面倒がってやらない時の方が多いかもしれません。

◆待つ力、持つ力

うつになった。介護と子育てのサンドイッチでしんどい。本当に辛いことの我慢は「我慢(わがまま)」でもありませんし、「我慢(耐え忍ぶ)」でもない。待つ必要はなくて、単純に助けが必要です。

世の中には情報があふれています。スマホを持てば、通知がたくさんやってくる。考えすぎで脳疲労を起こします。まるでたくさんの大小様々なボールが投げられ続けているようなもの。何が大切な内容か見極めるだけでも必死です。すべてを受け止めるなんてとんでもない。

ボールが投げられたら即キャッチしなくてもいい。吟味してから拾い上げればいい。悪口など自分が受け止めなくてよいボールもある。抱えたボールを手放してもいい。誰かと分け合ってもいい。みんなでパスしあう楽しみもある。

人生を待つ力、人生を持つ力が忍辱であり、すでに私たちが備えている良い姿です。忍辱の衣です。

気温の上下と寒暖差に体調がついていきませんね。身体ご自愛いただき、よいお年をお迎えください。(住職)

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