本尊 十一面観世音菩薩と三尊像

陽岳寺の本尊は、千手千眼観音から、千手千眼をのぞいた姿の十一面観世音菩薩です。また脇侍(わきじ)といいまして、本尊の前に立って本尊を支え表現する仏像は、お地蔵さまと毘沙門天です。お地蔵さまが慈悲を表現し、毘沙門天が智慧を表しています。
この本尊の底には、墨でもって、「花園実相院昆溟(こんめい)再建」と記されています。現在、花園には実相院というお寺は存在しないことから、関東大震災にて陽岳寺が燃えて、現在の本堂が再建されたときに、迎えられた十一面観世音菩薩だと思っています。通算すると500年以上という年月にわたって、じっと、京都と深川の世の中を見つめています。

深川に迎えられたこの十一面観世音菩薩三尊像は、近江の琵琶湖周辺だけにまつられる様式であることから、東京の深川にまつられて、どんな意味があるのだろうかと、住職になってから考えたものです。
近江という場所は、交通の要衝であり、多くの戦災に巻き込まれた場所でもあり、絶景に恵まれた地でもあるのでしょう。この地域の民衆によって、支持され、形作られたこの様式の十一面観世音菩薩は、また観音霊場の道であります。
そこで考えたことが、毘沙門天の智慧を、深川の歴史を考えて、勇みとしてみたのです。そして慈悲を、情けと考えてみると、実に深川とピッタリと合うから不思議です。その勇みと情けを合わせて、『意気地(いくじ)』という言葉を引き出してみたのですが。深川の古老の言葉に、「意気地が無くなった」と、これこそ自己を見つめて問う言葉です。もう一つ若い人に『お侠(きゃん)』という言葉があったのですが、今は死語になっています。

そして、ここから、「人に智慧と慈悲を、諦めと意気地を、勇みと情けの花を咲かすため、地蔵菩薩と毘沙門天を引き連れて創造されたその化身だからこそ、気がつけば、欲すれば、呼びかけに応じてすぐ傍に、佇み、包み、人を覆います。それは、自分自身に自由であることの全てを、思い出させるためにです」と。
観音菩薩には、多くの姿がありその数は、108とか、88とか、33とかあり、実際には数限りない姿があり、さまざまな名前を持っているといえるでしょう。千手千眼観音、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音菩薩、不空羂索観音菩薩、白衣観音菩薩、平和観音、……、とさまざまです。また、ダライ・ラマは観音さまの化身であるとチベット民族は思っていることも知られています。
観音さまは、智慧と寛容の菩薩であり、そのはたらきは、「観音妙智の力、よく世間の苦を救う。神通力を具足し、広く智慧の方便を修して、人々を救うというものである。それは、嫉妬、欲、無知などの状態に陥っている人を救済し、生・老・病・死といったあらゆる人生苦を除いてくれる」という。

さて、中国や日本の禅の和尚が、日々にどう過ごし、会話をしるしたものは語録といわれています。多くの語録があり、その中に、碧巌録(へきがんろく)という語録があり、千手千眼観世音菩薩のお話しがあります。
その内容は、「慈悲深く、衆生を大悲でもって見つめる観世音菩薩は、千の手のひらに、千の眼があるが、そんな手で、そして眼で、いったい何をするのですか」と、この語録を読む人に問いかけています。
自分自身の中の観音菩薩の働きを見いだせと。それは、全身が眼となり、全身が手となり、全身が口となってはたらくとは、見るものと見られるもの、聞くもの(耳)と聞かれるもの(口)、手でものを造れば、造る手と造られるものが二つでないということで、一つになったとき、そこに観音菩薩のはたらきがあるということになります。今ここのはたらきを見いだせと、問いかけています。
この問いに対して、「夜中に寝相が悪く枕がどこかにいってしまったとき、暗闇の中で、手が枕を探すようなものだ」と、禅者は答えています。

また、趙州録(じょうしゅうろく)という語録があります。趙州という和尚のお弟子さんたちが書きとどめたものです。
この趙州和尚は、言葉がたくみで、機微にとんで、その問答を読んでみると、その一つ一つの言葉は、すがすがしさをおぼえます。
役所の長官が、趙州和尚にたずねますた。「りっぱな先生でも、やはり地獄に行きますか」と。その問いに対して、趙州は、「私が行かなければ、どうして貴方に会うことができるだろうか」と答えました。
禅宗の和尚は、こうした過去問を読みながら、現実の足もとに置き換え、照らして実践することを修行といたします。そのことによって、過去問は今の問いと変化いたします。
老婆が趙州和尚にたずねた。「私は、五つのさまたげをもって、この年になるまで生きてまいりました。そんな私がどのようにしたら、まぬがれることができるでしょうか」と。
趙州は、「お前さん以外の誰もが天国に生まれるように!お前さんは苦海に沈むように!」と答えたのです。
この五つのさまたげとは、人の死後に通じている五つの場所です。その場所に、いくら善いことをしても、必死に子ども育てても、女性は行けない場所と思われていたことをさします。8世紀頃の中国でのことです。自分以外の原因によって、どんなに努力しようとも、堪えようが、梵天や帝釈天、仏天に行けないということに対して、趙州は、「願わくは、子ども達やすべての人たちが、行けるようにと」と、そして貴方こそ、「苦海に沈むように」と、厳しく説いたのです。
多分、この老婆は、五つのさまたげがあるといわれた時代に、釈尊が涅槃経で説いた、「生きとし生けるものすべてに、仏性(ぶっしょう)がある」という言葉を知っていたのでしょう。その仏性のままに、「苦海に沈め」と、趙州とはそういう方でした。

その苦海に沈む姿を表した仏さまが、観世音菩薩といえます。碧巌録の問答は、無心のはたらき、そして趙州録の問答は、他者に対して無心となることで、苦海に活き活きと生きる生き方を示してくれたものと理解いたします。
十一面観世音菩薩の頭には、十一のお顔があります。その顔は、正面は慈悲の3面、左には怒る瞋面(しんめん)が3面、右には菩薩の面にして牙や角をした3面、後には大きく笑う面、頭の頂上には阿弥陀仏をいただいています。それは、母の顔や父の顔、先生や子ども、親切にしてくれた顔、怒ってくれた顔、励ましてくれた顔、心配してくれた顔でもあります。

幼かった頃、知らずに人の心に傷をつけたり、悪戯をしたことを隠していたりと、そんな時、両親が、しかるのではなく、悲しんで、寂しい、悲しみの顔を見せたようにです。 このことは、父や母は、父であるや母としてという思いを無くして、本当に傷みそのものとなって、目前にさらしていくれたのだと思います。
趙州和尚が、地獄に行くと言ったのは、このことを言うのではないかと。心を空っぽにすること、「それは死んでどこに行く」という問いの答えそのものと考えることができます。だから、今、死ねと!
ここに下町の情けをたたえた意気地があると思うのですが。

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