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陽岳寺では、お経と日本語を織り交ぜながら、古式に則ってお勤めをいたしております。
山号・寺院名 | 長光山 陽岳寺(ちょうこうざん ようがくじ) |
宗派 | 臨済宗妙心寺派(禅宗) |
本尊 | 十一面観世音菩薩(脇侍:地蔵菩薩・毘沙門天) |
開基 | 向井左近衛将監源忠勝 |
開山 | 創建開山:文室祖郁、勧請開山:江厳祖吸 |
創建 | 寛永14年(1637年) |
陽岳寺の歴史について
東京都江東区深川の陽岳寺は、臨済宗妙心寺派に帰属する、禅寺です。
寛永14年(1637年)の創立にて、創建開山は文室祖郁、勧請開山は谷中南泉寺より江厳祖吸です。
開基(お寺をつくるにあたり多大なる支援をしてくださった方)は向井左近衛将監源忠勝。今川家、武田家、徳川家と戦国時代に三家に仕え、彼ら大名を海上から支援した水軍/海賊です。
徳川家康は、江戸湾の奥に、敵水軍を迎え撃つ海賊衆による、ガイドラインを引きました。そのラインは、伊豆、三浦三崎から葛西、江戸へと到ります。歴史は、各地に散った紀州海賊衆の足跡を、紀州より相模湾、東京湾に残しているようです。
時は流れ大正年間。深川の大火や関東大震災により陽岳寺の本堂、庫裡、惠心僧都作観世音、出山釈迦像、文殊九助の自書及画像、木像、石標並びに伏見義民の碑もすべて焼失してしまいました。
現在の本堂にて祀られているご本尊は、関東大震災後、京都花園(妙心寺)実相院というお寺のご本尊を移したもので、昆溟再興と書かれております。仏師の名はわかりませんが、江東区の調査により「室町時代末期作の十一面観世音菩薩座像」であると判明いたしました。
中興大室祖昌とす。 惠心僧都の作観世音を安置す。其の胎内仏は武田信玄の向井将監に与えたる木仏なりという。其の他坪内大隅守作出山釈迦像、文殊九助の自書及画像木像を蔵す。門前に山城伏見義民文殊九助霊所の石標並に伏見義民之碑(内大臣三條実美題額)を建つ。明治三十年五月設くる所なり。 当寺には向井将監忠勝及び画家二代目英一蝶、観嵩月の墓あり。
(明治四十二年二月二十日発行 大日本名所図絵新撰東京名所第六十三編深川区之部より)
東京都旧跡
向井将監忠勝墓
伏見義民墓
観嵩月墓
英信勝墓
伏見義民について
全国にわたる天明の大飢饉(一七八三~八七年)の頃、山城国伏見奉行小堀政方は幾多の悪政を重ねた。このため伏見住民は塗炭の苦しみにあえいだ。文珠九助、丸屋九兵衛および麹伝兵衛らは幕府に直訴を企てひそかに江戸に入ったが、伝兵衛は小堀が放った捕吏に殺され、ようやく逃れた九助と九兵衛は直訴に成功して小堀は罷免されたが、両名は天明八年(一七八八)獄死した。 三名の遺体はそれぞれ陽岳寺に引き取られ、厚く葬られたが、これはかれら三名が江戸にあって直訴をうかがっている間、当寺に庇護され、多大の援助を受けたからである。
(昭和四十三年三月一日 建設 東京都教育委員会)
京都伏見 御香宮神社ホームページ
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/gokounomiya/
逓代伝法(陽岳寺の歴代住職)
向井将監源忠勝 | 開基 | 寛永18(1641)年10月14日没 60歳にて死去、本叡山本覚院に葬られる。その際の法号、眞珠院殿月峯宗心居士。 大正元(1912)年、本覚院より、改葬された。その際の法号は、陽岳寺殿天海玄祐大居士。 |
江巖祖吸 | 開山 | 宝永2(1705)年閏4月8日没 日暮里、南泉寺より、拝請。 |
文室祖郁 | 創建 | 正徳3(1713)年10月19日没 三浦三崎の見桃寺和尚にて、妙心寺はの僧籍を持っていなかったが、忠勝が信仰していた。 |
錐翁慧勤 | 二世 | 貞享4(1687)年2月20日没 妙心寺開山の、関山無相大師は、元徳2(1330)年、京都を去り、伊深に庵を結んだ。妙法山正眼寺は、始め初祖山円成寺と言い、寛文9(1669)年に改称した。陽岳寺錐翁は、寛永元(1624)年、正眼寺山に草庵を結ぶの記録がある。そして後、雪潭紹僕が禅堂を建立した。 また、錐翁は、芭蕉の師匠の仏頂禅師が参禅したと伝えられる。 |
~中略~ | ||
聰川眞幸 | 十六世 | |
素山真人 | 十七世 |
本尊 十一面観世音菩薩と三尊像
陽岳寺二世 錐翁慧勤
陽岳寺二世 錐翁慧勤は、貞享4(1687)年2月20日没。妙心寺開山の、関山無相大師は、元徳2(1330)年、京都を去り、伊深に庵を結んだ。その後、錐翁は、寛永元(1624)年、正眼寺山に草庵を結ぶの記録がある。そして後、雪潭紹僕が禅堂を建立した。妙法山正眼寺は、始め初祖山円成寺と言い、寛文9(1669)年に改称したのです。
また、錐翁は、深川にあって、芭蕉の師匠の仏頂禅師が参禅したと伝えられる。