監督 小津安二郎

投稿日:2003年12月24日 更新日:

陽岳寺には、小津家本家の墓があり、小津安二郎にとって、父母、兄が眠る。
ここ深川には、小津映画には欠かせないモノが数多くある。生誕の地であると同時に、懐かしくはかない下町の人情のなかに育まれた小津は、ここで、実家の関東大震災、大東亜戦争の惨状を、つぶさに経験する。
戦後、人々はたくましく復興をとげるが、それは、同時に生活に追われ、在りし日の下町の人情は消えるはめとなるのか。
東京物語、麦秋、秋刀魚の味、晩春に、小津を思いだし、懐かしみ、彼がたどった道を見たいと思う。

小津安二郎

映画を見ることに、こんなに感心しながらビデオ映像をながめた年はなかった。その画面からは、懐かしさや、しっとりとした、ごく普通の家族や家庭がほのぼのと浮かびあがってくる。それも淡々として、月日が過ぎ去るさまに似て、達観して言葉を慎重に探しながら送り出す背後の作者の創作姿勢を考えさせられるのです。
徹底してローアングルの場面があり、場面の外から人物が登場し、場面の外に去ってゆく。ときおり、誰も登場しないで音もないシーンが挟まれるのですが、それが、加えもしない、削りもしない、写実そのもの、私たちがとるスナップの景色と何ら変わらぬものの不思議さなのです。ズームインもアウトもないし、カメラ自身も移動しない。場面が替わる感覚も、単純に単調に決められた時を、言葉と沈黙を混ぜながら進むことで、心地よさや安心感が生まれる。どんな映画より、ゆったりとして、もはや過ぎ去ってしまった日本の原風景が横たわっているのではないかと。それが、平成15年12月12日、生誕100年を迎えた、小津映画ではないかと。
題材は、時代の中の人間。人間であるかぎり、死という別れにまつわるもの、結婚という出会いにからむもの、その間の夫婦、親子、友人のドラマであり、それが、日常ということなのでしょう。
平成15年12月7日(日)夜11時より、NHKのBS2で、“小津映画秘められた恋”が放映されました。

それより以前の11月9日(日)午前11時、出演である旅人役の佐野史郎が雨が上がった陽岳寺の山門をくぐって、小津家の墓地を参詣しました。案内した私は、そこで、佐野史郎より、この訪問の目的を知らされ、その時のことを語ったのです。
「それは、2年前ぐらいの、今頃の季節だったと。庫裡の玄関を、一人の大柄な、お年寄りの婦人が、訪ねてきました。杖をついてはいたものの、しっかりとして、大きく見えたご婦人でした。たしか四十年ぶりの墓参で、足がおぼつかなく、これが最後となるかもしれませんが、小津家の墓をお参りしたいと言われたと思いだします。そこで、場所が解らないだろうからと、線香を灯し、樒(しきみ)を手わたして、案内したのです。墓前で、すぐに、私は失礼しました。しばらくたって、その老婦人は再び庫裡の玄関のチャイムを鳴らしました。そこで、応答に出た私に、ご自分の名前をメモ用紙に記されて、先祖のために、お搭婆をあげたいと申しこまれたのです。」

そして、数日がたち、お寺の近くで、ここ深川での小津安二郎のブームの先頭に立つ、長谷川氏(全国小津ネットワーク会議会長)がやはり墓参に訪れたときです。帰りしな、血相を変えて、「あのお搭婆は、いったい、いつ来られたのですか。ご住職は、その訪問された方をご存じないのですか。」と問われたのです。私はそんなこと知るよしもなく、そこではじめて、その老婦人が、小津安二郎の“小田原の女性”だと聞かされたのでした。その後、三上真一郎という、晩年の小津映画に出演していた男優が、やはり長谷川氏と来られて、その話をしていることを思いだしました。その事件が、どこかで伝わり、この“秘められた恋”という番組の最後で、そのエピソードを語りながらの出演だったのです。小津監督が他界して40年がたちます。今になっても、偉大な監督の残した伝説の女優『原節子』と、鎌倉の居宅に出入りを許された『小田原の芸者』という、ういういしく、神秘的で、美しい話しがあるものだと、“坊さんかんざし買うをみた”。

小津安二郎生誕90周年が開催されたのは、1993年、平成5年でした。その翌年、小津家の人が、寺に私たち小津家の人たちと小津安二郎監督の記念のものとして何か、お寺に置いておきたいけれどと、写真や手紙を持ってこられたのでした。私は、「それなら、明治小学校に通われていたのだからと、子ども達にもよい励みになるし、記念にもなると、学校に寄付してくれないか」とお願いして、実現したのが平成6年7月5日です。その時の読売新聞切り抜きを、今、発見して、ちょうど10年前、江東区では、小津映画も、出生が深川であることや、明治小学校に通っていたことすら語られずにいたことを思いだします。

私と小津監督の接点は、直接ではなく、あくまで、父と母の眠る墓を通してのことです。監督のお兄さんである新一さんとは、特に親しくさせて頂いたものです。80歳を過ぎて、本堂の玄関の上がり間淵に腰掛けて、よく話しをしたものです。私は、とても気に入られて、その頃、の新一さんは、弟安二郎の写真で見る姿とそっくりの顔立ち、体つきでした。冬になると、トンビというマントを着ていた姿が忘れられません。そして、威厳のある風格を漂わせていたものですから、その姿を小津監督にダブらせて、私は今でも見ることしかできないのです。無邪気さを持ちながら、子どものようなところもあり、それでいて、やはり大きな人だったのだろうと、想像するのです。

小津安二郎監督の言葉を拾い集めてみました。
「映画とは、一人の人間の、ほんとうの個性を描くものだ。ほんとうの人間は、いくらそれを行動の上で、どぎつく描いても、描ききれるものではない。喜怒哀楽だけを、一生懸命写しとってみても、それで人間のほんとうの心、気持が表せたとは言えない。悲しい時に笑う人もいるし、嬉しさを現すために、泣かす場合もある。要はその人間の風格をだすことだ。」
「いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、ドラマの本質は人格をつくり上げることだと思う。」
「私は、画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど、穢(きたな)いものを、とり上げる必要のある事もあった。しかし、それと画面の清潔、不潔とは違うことである。現実を、その通りにとり上げて、それで穢いものが、穢らしく感じられることは、好ましくない。映画では、それが美しく、とり上げられなくてはならない。」
「社会性がないといけないと、言う人がいる。人間を描けば社会が出てくるのに、テーマにも社会性を要求するのは、性急すぎるんじゃないか。ぼくのテーマは、“ものの哀れ”という極めて日本的なもので、日本人を描いているからには、これでいいと思う。」
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」

俳優の笠智衆は、小津映画の大半に出演している。その笠が、『父ありき』の撮影に小津が語った言葉が、2001年7月30日発行の文芸別冊に掲載されている。
「おお笠さん、ちょっと来い。話しがある。いま試写を見ていたんだが、君は嬉しいときは嬉しい顔をする、悲しいときは悲しい顔をする。いつも表情に出すけれども、ぼくの映画には表情はいらんよ。今度『父ありき』という作品を撮るんだが、表情無し、お能の面でいこう」

小津の映画の基本は“お能の面”であり、感情抑揚はすべてストーリーの展開に含まれている。そのことについては吉田喜重が前田英樹との対談において話していた。
《レンズを向けることは、ここに現にある、実在しているものに何か手を加えることなんですね。いわばそこにある現実を映像に切り取るわけですから、持続している時間を壊し、中断してしまう。それはもう生きているものではなくて、撮られてしまった被写体というのは死んでしまったものにすぎない。なぜ映画監督というのは、こんなに死屍累々たる映像を手にして映画をつくるかとうような、不安というか、疑いをもっていたと思います。
本当は小津さんはこうした映画のまやかしを嫌っていた。だから、それを乗り越えるために、その死せるモンタージュで誤魔化していくのではなく、一枚一枚止まっている映像として、前田さんの言葉を使えば「絶対的断絶」といった、そういう非連続の映像として映画を発想した。したがって小津さんが求める演技というのは、要するに演技をしないことがいちばんいいんだ、ということになる。現実にキャメラを向けた瞬間に現実を破壊するのと同じ、他人に向かって「こういう演技をしろ」といった瞬間に、その人の肉体から持続している演技を破壊してしまうわけです。》

連続した時間のなかでしか生きられない人間の、絶対的事実とは、死屍と云う。それは切り取った時間でもあります。連続した時間は、人における行為であり、その一瞬は、行為を引き裂くことになります。しかし生きていく上でこそ、その連続した時間の人の一瞬は、もっとも唯一にして大切な絶対的事実であることも確かなことです。大きな矛盾を感じますが、それを“ずれ”と言った人がいました。
小津は、いつも愛用のライカを手に離さずに持っていました。ファインダーを覗き、あえて、世界の現実から、四角い映像現実として、自分に従って、切り離した世界を描いてきたのです。

◎この一年、小津安二郎生誕100年のブームに、随分と映画に親しみました。確か、このブームは生誕90年からだと思うのです。没後40年となり、見る側の意識や社会がかけ離れてしまったからこそ、ますますノスタルジアと考えさせられる映画になりました。私のようなものが、こうしてビデオを鑑賞にひたること自体、その輪に影響されてのことだからです。
(平成15年12月24日記す)

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