【コラム】正月はめでたいのみ

投稿日:2018年1月1日 更新日:

あけましておめでとうございます。
臨済宗と言いますと、有名なのは一休さん。アニメにもなりましたが、室町時代に実在した人物で、風狂人として今でも尊ばれています。そんな一休宗純禅師とお正月・・・となればこの狂歌です。

  • 正月は(元日や)冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
  • 門松は冥途の旅の一里塚 馬駕籠もなく 泊まり屋もなし

アニメ一休さんのなかでもエピソードとして使用されている狂歌ですが、正月に骸骨の付いた杖で天を突きながら街を練り歩きつつ詠んだものらしい、と伝えられています。
詠み人が本当に一休禅師かどうかは別として、おっしゃることはごもっとも。ただし、否定的な読み方はしたくありません。むなしい、悲しいという狂歌ではないでしょう。
一年の始まりで、なによりめでたい正月ですが、なぜめでたいのかと聞かれたら・・・はて?めでたくもあり、めでたくもない。むしろ、生きているだけで丸儲け、年中めでたくないだろうか・・・と一休禅師。
さらに、お正月飾りである門松を一里塚に見立て、明日・明後日以降、さらに人生という道のりに思いを馳せることを勧めます。加えて、人の一生において、自身の身と心を運んでいただけるような乗り物などなく、途中で一時停止を必要とする場所もない。まっすぐ一直線に、まだまだ生きていかなきゃあいけないのだ、いくつになっても老い先長し、人生とはいくつになっても始まったばかりである、と背中を押してくれているようです。

「冥途(めいど)」とは死後の国のことですが、人の想像は膨らみ、天国や地獄といった様々な世界があると考えられてきました。これを「世界観」といいます。
仏教の世界観では、仏さまのいらっしゃる国を、仏国土または浄土と申します。各浄土より仏さまがその世界を見守ってくださっている。この世界の中心には大きな山があり、我々の住む島の数千由旬もの地下には恐ろしい地獄がある。そんな仏教の宇宙観・世界観が、教えとして伝えられてきました。内容を詳しく見てみると、現代人にはなかなかに信じられないものとなっています。しかし、古人の聖者たちが見極めた内容です。そこには私たちに考えさせてくれるなにかがあります。
江戸時代には、地球の模型である地球儀のように、仏教の宇宙観・世界観が模型化されました(須弥山儀や縮象儀)。
同時代に、『浄土双六』という、遊ぶことのできる形にもなり、一般の世に出ました。目に訴えることは分かりやすさに繋がります。目の前の形に引きずられてしまうという欠点もありますが、当時の人々にとっては驚きだったことでしょう。なるほど私たちの住んでいる場所というのを、遠く遠くの上から俯瞰して見ればこんな形をしているのか・・・と。

そうは言っても当時の状況を考えれば、仏教世界の模型や浄土双六など、長屋に住む庶民の手に届くところではありません。僧侶たちの勉強のため、説法のときに使用するため、といった利用方法がなされていたのではないかと考えられています。

さて、昨年のお施餓鬼でもみなさんにお見せいたしました『浄土双六』。
じつは現在、仏教の宇宙観・世界観をお茶の間に、ということで紙をつかった模型で立体化しようと考えております。その手段とはペーパークラフト。紙に設計図が書かれており、ハサミで切り取っては貼り付けて完成させます。
2018年8月完成を目指しており、現在は経典や語録などを典拠にしながら、土台になるものを作成している最中です。2018年1・2月にはクラウドファンディングといって、インターネット上で支援を求めます。2018年3・4月には講師をお呼びして勉強会(地獄や現世など各世界について話し合う機会)を設けます。多くの人々と関わりながら、参加者とともに作り上げていく予定です。
遊び道具だといっても、適当なものは作れませんので、毎回とても勉強になります。
今回扱う題材は、別名・名目双六とも申します。いろいろな名目、仏教の言葉を学ぶ題材でもあったようです。その範囲は広大です。見知ったものから、見知らぬもの、上座部仏教系のものまで。地獄、餓鬼、修羅、人間、天や仙人。はたまた雷神風神、有頂天など、さまざまです。ひとつひとつについて、詳しく調べる必要があります。
3・4月の勉強会には、ぜひみなさまにもご参加いただければと存じます。またお知らせをいたします。

さて、お正月だからと集まって、子供たちは双六でも遊ぼうか・・・などといった風景はあまり見なくなったように思います。
双六とはスタートすれば、ゴールに向かって一直線です。終わったとしても、また何かが始まります。
双六の盤上に置かれたコマは、私たちの分身です。マス目の上を通るわけですが、コマとしてはゴールを目指しているものの、まずはこの一歩。自分がまさに今いる場所、この一マスがコマにとっての居場所です。
冥土への旅と申しましても、先は見えません。道が遠くに続いているのは分かるけれども、途中で曲がりもしていましょう。ゴールは知っているものの、先に詳しく何があるかなんて分かりません。途中で倒れたら馬カゴに乗れるかもしれない、とも分からない。
しかし分かっていることもあるようです。それは一里塚にいるということ。いま、このわたしは、人生のはじめにいる。正月のめでたい時はめでたいのみ。歩みが進んでも、双六の上のコマのように、そのマスにいるときはそのマスが居場所となるのみです。
考えてみれば、何事もなく、または何事かありつつ、新年を迎えられました。こんなにありがたいことはないかもしれません。
十牛図といって、禅の境地を絵にしたものがあります。その最後には、入鄽垂手(にってんすいしゅ)。たとえて言うならば、町を歩く布袋様です。一休禅師の狂歌は、おめでたいやつになれとの思し召し・・・と考えてもいいかもしれません。(副住職)

●1月28日(日)15時半〜17時、双六についての講演会を、陽岳寺本堂にて行います。申し込み不要、参加費無料です。ご参加くださいませ。●講師:草場純氏(遊びの研究家)・望月哲史氏(月刊ムー編集部所属、現代語訳浄土双六復刻の仕掛人)

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