【コラム】4種類の人たち

投稿日:

鍛冶工の子チュンダがお釈迦さまに質問をします。
「世間にはどれだけの修行者(乞う者)がいますか」

世尊曰く、
「4種いる。道による勝者(煩悩に打ち勝った人)、道を説く者、道に生きる者、そして道を汚す者である。」
「道による勝者とは、疑いを超えて、静けさを楽しみ、貪りや欲望を除いて、神々と含む世間とを導く人のことである。」
「道を説く者とは、この世で最上のものを最上であると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち、不動なる聖者のことである。」
「道に生きる者とは、善く説かれた法句なる道に生き、みずから制し、念いあり、とがのないことばを奉じている人のことである。
「道を汚す者とは、善く誓戒を守っている者のふりをして、押しづよくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりあり、自制心なく、おしゃべりで、しかも殊勝らしく行う者のことである。」
続けて言う。「学識があって聡明な在家の優れた信徒は、修行者とはこれら4種である、と知っている。彼らを洞察し、このように見ても、その信徒の信はなくならない。」
(中村元ブッダのことばスッタニパータより)

修行とは、行いを修める。ふだんの生活を正しく行うことです。
正しく行う道とは、(仏の教えによった)人生のことです。

自分の人生に勝つ者と、人生を説く者と、正しく行う道を歩む者と、自分やまわりの道をけがす者の4種をお釈迦さまは説いています。
この4種の記述は、気づきを与えるものです。こうしなければならない、と縛るものではありません。

1。勝者は疑いを超えている。
バスや電車で咳をしている人がいる。なんだろう、コロナウィルスに罹患しているのだろうか。
そんなことを思ってしまうかもしれません。しかし、この時、疑いを持つ自分自身を棚上げにしていないだろうか。
そのように思ってしまった自分を、そういうこともあると思って反省し、謝り、優しくいさめてあげてください。

2。道を説く者は、最上を最上と知り、法を説き判別する人。
法とは、この世のあり様のこと。コロナウィルスであれば全貌が未知であり、未知なりに分かっていることはある。
また、自分の体調や感情や社会情勢とは、自分の思い通りにはならないものです。
しかし、「判断」は自分のものです。こうしようという「意志」は自分次第。誰にも左右されるものではない。
うつらない。うつさない。そのためには、意志をもって判断する。
換気されていない、人が多くいるせまい場所に集まり、おしゃべりしたり「密閉」「密集」「密接」の3条件を避けましょう。

3。道に生きる者とは、とがのないことばを奉じている人。口に出す、こころや頭に思うことばとは、自分の耳も聞いています。自分の行動は、自分の目で見ています。
怒りは怒りを呼ぶだけで、物に当たっても、うさは晴らされません。手を開き、ぽーいと捨てなければならない。

4。道を汚す者とは、善く誓戒を守っている者のふりをして、押しづよくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりあり、自制心なく、おしゃべりで、しかも殊勝らしく行う者のことである。
テレビのワイドショーは消しましょう。これだけで静けさを楽しむことができる。FMラジオや、クラシック音楽をうっすら流すのもいいかもしれません。

修行者とは、乞う者。まわりのこの世のあり様から学ぶ者のことです。
他人に悩まされることなく、他人を悩ませることもしません。まわりの方々を見て4種類のうちどれに当てはまっているだろうか・・と洞察してみてはどうでしょうか。

-お寺ブログ, 副住職のつぶやき

Copyright© 臨済宗妙心寺派 長光山陽岳寺ホームページ|虹の彼方に , 2020 AllRights Reserved Powered by micata2.