自宅のお仏壇の本尊は何にすればいいですか?決まりはありますか?臨済宗では?「お仏壇の本尊」について質問をいただきました。
臨済宗の本尊としては、お釈迦さまである「釈迦如来」が順当です。しかし、所縁によって、さまざまな仏さまをご本尊としてお祀りいただいて構わないと存じます。
◆臨済宗の「本尊」とは4つある
「仏壇」とは、仏教の辞書をひいてみます。
❶須弥壇(しゅみだん)のこと。仏像を安置し、香華を供えるところ。❷在家の内仏のこと。在家が仏祖・先祖の位牌を祀る厨子。〔新版禅学大辞典:仏壇より〕
❶須弥壇とはお寺の仏壇のことです。陽岳寺では仏像とともにお位牌が並んでおり、本堂と位牌堂(各家祖霊の位牌が祀られる)のふたつの建物が本堂にまとまっています。
❷在家の内仏とはご自宅の仏壇のことです。
ご自宅の仏壇には、仏像、お線香立て、供花、そしてお位牌等が並びます。陽岳寺の仏壇も、ご自宅の仏壇も、どちらも仏さまとお位牌を祀る場所なのです。
お寺のお堂も、自宅の仏壇も、仏さまの家です。仏壇は仏さまの家ですから、家の主人である仏さまがいない仏壇は「仏壇だ」とは言えないようです。
さらに「本尊」とは仏教の辞書をひきますと、ひとつにはこのようにあります。
根本の中尊の意。寺院の内陣や仏壇などに主尊として安置される仏菩薩等の尊像をいう。脇侍・眷属と区別して、中尊を本尊という。叢林における崇拝の中心として、殿堂内に安置されている仏菩薩の尊像をいう。その他、個人個人の生年や機縁によって、個人的に仏菩薩の像を守本尊とすることもある。要するに、本尊には一定派に共通した本尊、堂宇によって定められる本尊、個人によって定められる本尊等の別がある。〔新版禅学大辞典:本尊より〕
つまり、本尊には4つあるということです。
①宗旨の本尊(菩提寺宗派:臨済宗の本尊)
②お寺の本尊(菩提寺である陽岳寺の本尊)
③建物の本尊(菩提寺の本堂の本尊)
④わたしの本尊
①~④は一致することもあれば、分かれることもあります。本尊はお堂の仏壇の中央、一番高いところに奉安します。
◆①宗旨の本尊:釈迦牟尼仏(臨済宗)
陽岳寺の場合はどうでしょうか。臨済宗妙心寺派の宗綱と、別の本にはこうあります。
本派は、釈迦牟尼仏を大恩教主と仰ぎ、嫡嫡相承の列祖を伝灯菩薩として崇敬する。但し、教化の方便としての本尊は、衆生縁によるものであって一定しない。〔臨済宗妙心寺派宗綱:第一章総則(本尊)第四条より〕
釈迦牟尼世尊をひとしく大恩教主と仰いで尊崇し、因縁により、釈迦如来、観世音菩薩などをまつりします。〔臨済宗信行経典より〕
つまり、宗旨としては、お釈迦さま(釈迦如来)を本尊として安置するのがよい、となります。
◆②お寺・③建物の本尊:十一面観世音菩薩
ただし、禅寺の本尊にも、そのお寺の創建の因縁によって、薬師如来、阿弥陀如来などおまつりしていることがあります。各自の場合も、その家のご縁、その家の歴史、伝統によって、かならずしも一定する必要はありません。
陽岳寺は、関東大震災にて焼ける前の本堂の本尊は釈迦牟尼仏であったと聞いています。区画整理後に立てた現存の本堂に、のち、現在の十一面観世音菩薩坐像をお迎えしました。
観音さまをご本尊とする臨済宗寺院はとても多いです。
皆さまのご自宅にお祀りされる仏さまが③建物の本尊(内仏の本尊)として当たります。
◆④わたしの本尊
そして③建物の本尊(内仏の本尊)は④わたしの本尊と繋がります。
仏教のはじまりとなった人お釈迦さまは、約2500年前にインド・ネパールのあたりで活動をしていた、わたしたちと同じ人間です。彼の説いた内容をまとめたものがお経です。世の中の真理を悟った者であるブッダ・仏、彼の説いた教えがお経です。
前回のNo.263「臨済宗のお経」でこう書きました。
「お経」に観音菩薩などさまざまな仏さまが登場するものを読むときは、その仏さまの性質がわたしのなかにもあると受け取ることです。〜。「本尊」とは、外にある仏像を見て、その仏さまの性質がわたしのなかにはある・わたしたちの主人公であると受け取る必要があるものです。
本尊とは、崇拝の中心として建物・仏壇のなかにお祀りするだけではなく、わたしのなかの仏心(ほとけごころ)を見て取るきっかけになるものです。
臨済宗妙心寺派の信心のことばのひとつに「衆生は本来仏なりと信じて、拝んでいきましょう」とあります。衆生とは、さまようこころを持つものたちのことです。
わたしたちは迷っているこころを持っているからこそ、だれかを導くことも、だれかを安心させることもできる。わたしたちの本性は仏であり、お互いに拝んでいこう、と信心のことばは示しています。
わたしの本性を明らかにしていくよすがとして、「わたしの本尊」があります。観音のこころがあるか、地蔵か、お薬師さんか。
自宅に仏間がない、仏壇の本尊がないという場合は、陽岳寺の本尊をご自身の「わたしの本尊」とするのがよろしいでしょう。
そこまで難しく考える必要もないのかもしれません。本尊として仏像や掛け軸を求めるなら、顔立ちがいいな、一目見て気に入った等、縁を感じたものを本尊としていただいていいのだと存じます。
臨済宗の本尊についてお話しをいたしました。(副住職)