【コラム】他を鑑とす:他是阿誰

投稿日:2021年9月3日 更新日:

事件事故の被疑者・被害者、発言により炎上し謝罪・撤回をするタレント、冷笑的に政治批判をするコメンテーター。誰かを見ると、彼はわたしとは違う!わたしはしない!と考えます。しかし、あの人もわたしであり、わたしもあの人ではないか…という話です。

さて、お釈迦さまが亡くなる前後に、さまざまな生きものが集まっている様子の描かれた絵『涅槃図(ねはんず)』。そこには四十五の種類の人型の生き物や、さらに動物たちが描かれます。

彼らは各生物の代表であって、実際にはそれぞれの種ごとにたくさんの数が集まっていたという背景があります。たったひとりではない。

般若心経は、観自在菩薩が舎利子に対し空(くう)を説いている場面設定になっています。このとき、観自在菩薩と舎利子の二人しかいなかったのでしょうか。「対告衆」といって、大衆のうちの代表としての舎利子ととらえます。

令和2年5月1日号No.264『臨済宗の本尊』に書きました。

「お経」に観音菩薩などさまざまな仏さまが登場するものを読むときは、その仏さまの性質がわたしのなかにもあると受け取ることです。(略)「本尊」とは、外にある仏像を見て、その仏さまの性質がわたしのなかにはある・わたしたちの主人公であると受け取る必要があるものです。

ではここで問題です。舎利子とはだれでしょうか。お釈迦さまのまわりに集まった人間は、菩薩は、動物はだれでしょうか。観自在菩薩、涅槃図中央のお釈迦さまとはだれでしょうか。

自分とあの人、あの菩薩、あの動物。見る私と、描かれている他者という相対的な見方だけをしてはいけない。自分とは関係ないのでしょうか。

◆他はこれ阿誰ぞ(たはこれあたぞ)

臨済宗においてよく読まれる本のひとつ『無門関』(公案集/問題集/故事集)の第四十五則「他是阿誰」にこうあります。

本則(今回のテーマ/問題文):
東山演師祖曰く、釈迦弥勒は猶是れ他の奴、且く道え、他は是れ阿誰ぞ。

【本則意訳】わが師祖である東山法演禅師が言った。「お釈迦さまも、弥勒菩薩も、彼の下僕にすぎない。さあ、言ってみよ、彼とは誰だ。」

きびしい問いかけです。お釈迦さま、仏教のはじまりとなった人。お通夜にお勤めする三帰依文に「帰依仏無上尊」とありますが、世尊という尊称をもち、このうえない尊敬を捧げている釈迦牟尼に対してこの言葉です。

弥勒菩薩、兜率天内宮にあってお釈迦さまについで仏の位を補うべき菩薩。五十六億七千万歳の寿命が尽きると人間界に下生して成仏するとされています。陽岳寺合同納骨墓の中央尊仏でもあります。つまり未来の仏として尊ばれている弥勒菩薩に対してこの言葉です。

東山法演禅師は、お釈迦さまも弥勒菩薩も、「彼」の奴僕にすぎないというのです。言われた途端「彼」の姿が立ち上がります。さあ、その「彼」とはだれか。

過去、現在、未来という三世の諸仏をもってしてあごで使うのは誰であろうと。お仏壇の最上壇中央に祀られる仏に対して、大変失礼な言葉でありますが、古人禅僧とはこういった言い回しをするのです。すべては作家、手段、方便。名前に迷ってはいけないのです。

原文の「他」とは、彼(他のひと)。自他の他でしょうか。自分とあの人、と他者との関係や比較において自分が成り立つ相対的な「他」なのか。彼とは、たったひとりなのか。彼とは、いるのか、いないのか。

答えとしては、いろいろと言うことができます。令和2年2月1日号No.240にも書いた「主人公」、『臨済録』の「無位の真人」、「本来の面目」など。

しかし言えば外れ、語れば背くのです。こうだ!と言えば、こうでないところが目立ってしまう。

第四十五則「他是阿誰」にたいして無門禅師による評語(コメント)です。

十字路で父親に出会うようなものだ。近くにいた別の人に対し、彼は自分の父親かどうかを聞く必要はない。(意訳)

十字路で出会った「彼」はだれか。わざわざ言う必要がない。それはなぜか?わかっているからです。顔を見れば一目瞭然、顔を見るまでもない。

◆わたしはあなた、あなたはわたし

臨済宗妙心寺派の生活信条のひとつに「人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」とあります。

ここでいう他人とはだれでしょうか。

「他人のふり見てわがふり直せ」「人を以って鑑とせよ」と言いますが、事件事故のニュース、テレビのタレント、コンビニのカウンターの向こうにいる店員さん、通りすがりの人。どうしても誰かを見ると、わたしとは違う、と考えてしまう。わたしとあの人との間に線を引いて、わたしはあんなことはしない。わたしはああなれたらいいな。

たしかに相対として自他の認識がないと生活できませんから、仕方がないところもありますが。

しかし、根を考えれば、あの人もわたしであり、わたしもあの人ではないか。わたしも、あんなことをする可能性がある。こんな目に合うこともある。生きている人も、亡くなられた人も、関係ありません。相手の立場にたつことも、自分を客観視することも、なかなか難しいことです。ではどうすればいいか。生きている人間の目線から離れてみることです。たとえば亡くなられた方の目線に立つ。秋のお彼岸です。お墓の前で、お仏壇の前で、お手合わせください。(副住職)

  • 陽岳寺YouTubeチャンネルを続けています。お仏壇やお写真の前で、一緒に読経できるようご用意しています。月2回オンライン坐禅会も。
  • 市童のらくご[2021年9月8日(水)、10月16日(土)、11月19日(金)、12月17日(金)]開場19時 開演19時半/木戸賃:予約1500円 当日1800円/備考 マスク着用を願います。体調の悪い方はご遠慮ください。開催時間の変更など詳細は陽岳寺ウェブサイトをご覧ください。

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