【コラム】理想の生き方

投稿日:2022年9月9日 更新日:

どの時代、どの地域を通しても、理想の死に方は「ない」ようです。

いやいや人それぞれに理想の死に方はあるよ!…そのように思われる方もいらっしゃるでしょう。でもそれはきっと、理想の死に方ではなくて、「理想の生き方がある」ということなのかもしれません。

「涅槃図(ねはんず)」という仏教美術があります。昨年末に花園・護寺会便りNo.271と同封してポストカードをお届けしました。見た目は、涅槃図をもとにしています。

仏教のはじまりをつくった人、お釈迦さま。彼が中央に寝そべり、まわりを菩薩、修行僧、貧者、貴族、動物たち、すでに亡き弟子や母親が集まってきている様子を描いています。地域や時代によって様々な種類があり、現在も多くの作品が描かれています。(私も、涅槃図をおえかきするボードゲームを、来年の新作として製作しています)

そんな「涅槃図」は、いわゆる「理想の生き方」について考える材料を描いてくれているのではないかと読み解くことができます。

◆五十二衆があつまる:縁がある

「涅槃図」で中央の台の上で休むお釈迦さま。そのまわりを囲むものたちは「五十二衆」と呼ばれることがあります。亡くなる前、亡くなった後に参集した人型のもの、動物など生命あるものたちです。経典をもとに描くわけですが、大変に多く集まったと経に書かれています。キャンバスの広さには限りがありますから、そのすべてを描くことはできません。そこで52のグループ(衆)それぞれの代表だけを描いている、という設定になっています。

人間の目にはおさまらないスケールの大きさが、涅槃図の描かれていないところにある。

さらには52という数字も図によって違いますし、描かれている種類も違います。ポイントは「いろいろな弔問客が集まった」ということです。

哀しみにくれる人。目前の死をありありと見つめている人。亡くなる前から集まるもの、没後にやっと会えたもの。ありえないことですが、何年も前に亡くなっているのに姿を現すもの。動物や虫たち。そして、この場にいないもの。

生き方について考える上で、わたしたち人間はさまざまな縁のなかにいる、という前提を表現してくれている。縁がないという縁も、縁のひとつ。

◆人生とは「老齢まで生き、没する」を超える

お釈迦さまには80歳にして肉体が涅槃に入る、それまでの人生があります。お釈迦さまとして生まれる前『ジャータカ(前生譚)』もある。

人という生き物は、生まれる前、生まれた後・亡くなる前、亡くなった後がある。いのちの、世界の流れのなかにいる、という前提を表現してくれている。人生とはある特定の場面だけにずっと注目はしないのだと。

◆業のちから

お釈迦さまの弟子・阿難尊者は女性僧侶集団設立の立役者と言われます。そんな阿難尊者と女性僧侶が涅槃図に描かれます。「生まれれば縁が広がり、亡くなれば縁が広がる」とは住職の言葉ですが、ひとは影響を及ぼしていく。影響が影響を呼ぶ。生き方について考える上で、「業」の影響がある、という前提を表現してくれている。

◆単純なはなし:かならず死は訪れてしまう

ああだこうだと申し上げましたが、なにより大事は中央のお釈迦さまが涅槃に入る姿。つまり、生き方について考える上で、生あるものはいつか死ぬという前提です。哀しいことですが…。

◆理想を生きたい、と思ってしまうけれど

たしかに、人それぞれに理想の死に方がある。

…ピンピンコロリ、家族に見守られて、痛みもなく眠るように、人知れずひっそりと、まわりに大騒ぎしてほしい、歴史に名を刻みたい…

しかし、どうあがいても、理想の死に方はできない。なぜかといえば諸行無常だからだよ、と涅槃図は教えてくれています。すべてのものはうつりかわる。この肉体にとらわれることができない。理想の死に方にとらわれることはできない。

でも、そもそも「死に方」とは「生き方」を含んでいる言葉であり、「生き方」も「死に方」を含んでいる言葉です。「涅槃図」は理想の生き方のひとつを表してくれているのではないか?などと申し上げましたが、人間の亡くなったある場面、ある瞬間を映しているだけでしかなった。

理想の死に方・生き方の答えは「ない」わけですし、あると思っているのは、なにかしらの“想い”があるからかもしれません。期待、意図や後悔など、“想い”があると思っている。

ただ、間違いなくある!と言えることがある。それは「理想の死」「理想の生」。どれだけ壮絶でも辛辣でもどれだけやさしくても、それが「普通の生き方」「普通の死に方」だということです。棺の中に横たわり、眠り、物言わぬ人がいる。ご飯を食べて、出すものを出す。むかつく、泣く、笑う、さみしい。「事実・現象」があるだけです。

私たち自身が「事実・現象」に、涅槃図のように絵画を描いている、色をつけている。

『金剛経』というお経に「一切有為の法は、夢幻泡影の如く、露の如く亦電の如し、まさに是の如くの観を作すべし」とあります。

『涅槃経』というお経に「一切衆生悉有仏性」とあります。

涅槃図を材料に、理想の生き方について考えてみる、と色をつけました。だまして申し訳ありません。レッテル、ラベルや思考実験で、私たちはその色が本当の色だと思ってしまう。しかし、本来は違う。目の前に「事実・現象」がもうありありと見えているはずなのです。その表現が経典の言葉です。一切有為の法は、一切衆生はことごとく仏性を有している。答えが露出している。露出しているはずなのに、そこに目がいかない。

「涅槃図」が表現していることは、まさにかくのごとくの観をするべし、仏の目で見よ、ということなのかもしれません。(副住職)

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