子どもが生まれて早1年2ヶ月。足取りがおぼつかないながらもヨチヨチ歩きをしております。
そのまま順当に、病気もなく、元気に育ってほしい・・・とは親の思いです。そして子どもとしては、死ぬまで元気なままでいたいものだ、と親の想いを自分の想いとして引き継ぐこととなるようです。
元気でいる。その元気でいる、とはどのような状態でしょうか。強靱な肉体を持ち、転ぶこともなく、頭の回転はすさまじい・・・まではいかないものの、普通の体力と知力のある状態でしょうか。
仏教のはじまりをつくった人、お釈迦様。彼は、生老病死という人生の流れのなかに苦しみと救いを見いだしました。人が生まれ、老い、病み、倒れることは不変の事実であります。誰にも避けられない生老病死の流れのなかで、いつか病み倒れるならば、元気でいることそのものではなく、目的あってこその「元気でいる」ことが大切なのかもしれません。
元気でいることの意味は目的にある。仕事に家庭にと忙しくする。充実した人生を送る。そして、最後まで一人元気でいることも、立派な目的でありましょう。ただし、やはり諸行無常でありますから、どうしても元気がないこともあるはずです。元気でなければならない、と執着していると、苦しみも大きくなりそうです。
でも大丈夫。元気がなくてもいい。老い、病み、倒れることを、その姿そのもので具体的に見せてくれたならば、十分にひとりの人間としての役割を果たしてくれたことになる。これこそが、お釈迦様の気づいた生老病死という四つの苦しみから、見いだされた救いでありましょう。
流れにあらがうことが出来るのも人間です。と同時に、流れに合わせて姿を変えることが出来るのも人間です。
来る十一月二十七日(日)は陽岳寺の年中行事のひとつ、ご祈祷と演芸会です。本年への感謝と来年の無事とご多幸をご祈祷いたします。自分たちだけは・・・と思ってしまうものを、みな元気でいたいものだとお祈りいたします。どうぞご参加ください。
【コラム】元気でいる
投稿日:2016年11月2日 更新日: