【コラム】観音さま

投稿日:2018年4月1日 更新日:

No.149にて「本尊は十一面観音菩薩」と題して、陽岳寺に祀られている仏さまについてお話しいたしました。今回は「観音さま」と題して、くわしくお話しいたします。

観音さま。正式には、観世音菩薩または観自在菩薩と申します。

ホトケと言うと、すべて同じように見えてしまうかもしれませんが、名前が違うように、ひとつひとつお姿、意味や願いなどが違います。同じ人間・ホモサピエンス、サル目ヒト科ヒト族ヒト種のなかでも、アメリカ人・日本人のように人種が違うと認識します。

同様に、仏様にも分け方があり、役割によって分類します。如来・菩薩・明王・天の4つで、観音さまは菩薩です。

なお、ただ単に「ほとけさま」と言うときには、「如来」を指すこともあれば、「如来・菩薩・明王・天の4つすべて」を指すこともあるので、注意が必要です。

菩薩とは、サンスクリット語 bodhisattvaの音写である菩提薩埵(ぼさいさった)の短縮された俗語形です。

菩提とは、さとり(を成すこと)。薩埵とは、いるもの。合わせて、修行者のことです。

菩提薩埵の解釈には、時期によって違いがあるようです。大別して3つとします。

1つは、お釈迦さまがご存命であったとき(またはその前世にて)、さとりを求めて修行をなさっていた時代のことを菩薩とします。

2つ目が、いま日本で広く知られる仏さまのお姿につながります。すでに仏として完成はしているけれども、菩薩の姿となって私たち生きとし生けるものを救おうとする方々。その代表に、観音さまがいらっしゃいます。お地蔵さんも菩薩です。

 

観音さまの呼び名には、観世音菩薩・観自在菩薩があるとお話ししました。

呼び名の違いは、観音さまのお姿を説明しているように思います。

観世音。の中の人々の、救いを求める声()を聞くと救ってくださる、見守ってくださっている、察している仏さまです。

また、観自在。自由自在察する仏さまです。

観世音とは慈悲の象徴であり、観自在とは智慧の象徴と言えましょう。

仏教の両輪智慧と慈悲。智慧を持つ仏さまの一面を観自在として、慈悲のこころを持つ仏さまの一面を観世音としてとらえる。観音さまとは、大いなる仏教の智慧をもち、慈悲の心で私たちを観察していらっしゃる。見守ってくださっている仏さまです。陽岳寺のご本尊は十一面観音菩薩であり、観音さまが相手や状況に合わせて姿を変えたひとつです。

 

さて、3つ目は、仏としての菩薩から一歩進み、生き方としての菩薩になります。つまり、生きとし生けるものであれば誰でも菩薩になれる、と。

私たちが誰かを支えたいと思う気持ちで生きていれば、菩薩であるということです。

臨済宗は「衆生本来ほとけなり」と申します。いたらない私だからこそ、同じように苦しみ悩む隣人の助けとなることができる。その姿を菩薩として見出します。

日本の仏教は、大乗仏教に属しています。大きい乗り物で大乗。本来、大きいも小さいもないのですが、みんなで救われる方法を見つけようということです。

大きい乗り物なので全員が乗り込みます。

全員が乗り込みますので、誰かがのけ者になることがないように良い方法を考えることが、とても大切です。みなが幸せに暮らしていけるように努力することが菩薩の行いです。

その大きな乗り物を「地球」と考えてみれば、同じ地球に住む人類は、気持ちをひとつにすることが求められます。誰かのために何か良いことをする。生き方としての菩薩でありましょう。

「衆生本来ほとけなり」が臨済宗です。だれもが菩薩になれる、との示しであり、人はみな観音のように智慧と慈悲を生かすことができるという宣言です。

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