【コラム】お寺の掲示板

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昨年メディアでも話題になり、にわかに注目を集めました「お寺の掲示板」。
お寺の入口前には、掲示板が掲げられています。掲示されている内容を大別すると3つです。
ひとつは「お知らせ」です。陽岳寺は門前仲町駅へ向かう交差点にあるため、通勤通学の方がたくさん通ります。通勤通学の前後や休日にお寺へ来ていただきたいと、ヨガの会や遊ぶ会等の行事をお知らせしています。また、みなで一緒にはいる合同納骨墓についても、地域の方にお勧めしています。
ひとつは「諸注意」です。たとえば「墓地内で線香に火をつけず、お寺のものにお声がけください」「墓地管理者と連絡がつかないので、ご存知の方は教えてください」等です。
そして最後が「法語」です。仏さまの教えの言葉です。
信号で足を止めたとき、ふと見た掲示板。そこに書かれた言葉を見て、人生をふりかえる。今日という一日をどのように過ごそうかと方向付ける。そのように、立ち止まりや歩みをうながす機能が、お寺の掲示板「法語」にあります。
『お前も死ぬぞ 釈尊』はインターネット上で話題となった、とあるお寺の掲示板の法語です。本当にお釈迦さまが言ったのかどうかは別とします。しかし、この言葉を見てギクッとする人は多いのではないでしょうか。
当たり前・身近だからこそ考えないようにしていたのに、逃げ場のない事実を目の前に突きつけられる。
「生死の一大事(この私の一生という大ごと)」を目覚めさせる言葉です。
行事のお知らせとともに、陽岳寺でも法語を掲載しています。たとえば・・・

もし地によって倒るるものは、
かえって地によって起く。
地を離れて起きんことを求むるは、
つひにその理なし。

曹洞宗開祖 希玄道元のことばです。『正法眼蔵 第十七恁麼』から、インドの昔からの言い伝えとして紹介しています。
意訳はこうです。「地面によって倒れたならば、その地面に手をつけずに起き上がることはできない。」
ここで言う「地面」とはなんでしょうか。「わたしがつまずいた、なにか」と言えそうです。深読みをすれば、たくさんのことを学ぶことができます。
・大なり小なりの悩みや苦しみは、そこら中に転がっているし、足元にもあること。
・「地面のそれ」「なにか」につまずいただけであり、悩みやはあなたのものではない、苦しみを抱え込む必要はないということ。
・そうかといって悩みや苦しみを無視して、課題を乗り越えることはできないということ。
・むしろ、悩みや苦しみそのものが乗り越えるためのヒントになるということ。

選挙のときに目を入れる姿で有名なダルマさん。インドから中国へ禅をつたえた達磨大師がモデルとなっています。
ことわざ「七転八起」。転んでも起き上がる、ダルマさんの動きです。
達磨大師は面壁九年といって、九年間洞窟で坐禅を組み修行したと伝えられています。じっと何ごとにも動ぜず坐禅をしていたのでしょうか。寒ければ寒いと思いながら、暑ければ暑いままに、急に物音がしたらば驚いては坐禅に戻り、お腹が減ったら空腹だなと事実を事実として受け止めていたのではないか。
七転八起、面壁九年。倒れても起き上がる、転んでも起き上がる。
達磨大師の姿に、柳の木ような「しなやかさ」を見て取りたいと思うのです。

陽岳寺の属する臨済宗とは坐禅を旨とする宗派です。坐禅・地に座るとは、わたしのまわりにある困りごとよりも、自分の立ち位置の真下にある問題がわたしの立脚点であることを意味します。
仏教のはじまりの人お釈迦さまは、悩みや苦しみをなんとかしたい、と様々な難行苦行をしました。そうして難行苦行はあくまで苦しみからの逃避でしかない、最終的な解決は得られないと考えます。そこでお釈迦さまは難行苦行を手放し、静かに坐って物事のありさまを深く観察しようとしたのでした。
あれがいい、これがいいのではないか、と自身の外に求めた後、ただ静かに座って足元を客観的に見つめなおしたのでした。

希玄道元のことばも、達磨大師の面壁九年・七転八起も、お釈迦さまの遍歴も、伝えたいことは同じです。掲示板のように、立ち止まりとともに歩みをうながす「助け」です。

『お前も死ぬぞ 釈尊』は、「地面」を揺るがす問題です。大地震と言ってもいいかもしれません。震源地は人によって違うようです。
息子は今月4歳となりますが、父である自分も、4歳の彼も、ひとはみな平等にいつか死ぬのだよなと思うと…こころは揺れます。
その揺れをなんとかしよう、安心しようと、「地面」に柱を突き刺しますが、意味がありません。せめてお金を残そうと保険に入る、お父さんはこう思っているよとお話しをする等々の柱たち。よすがとなる柱をいくら立てても、柱ごと一緒に揺れるばかりです。
どうすればいいでしょうか。達磨大師のように驚いたら驚いたままに「しなやかさ」を忘れず、揺れながらどっしり座る姿を見せること。保険だ教育だと外も大事だけれども、なぜ恐れているのかを見つめること。そのためには「地面」に手で触れてしっかり確かめることか…。

気づいている気づいていないに関係なく、ひとはみな大なり小なり悩みや苦しみを感じています。身のまわりや、すぐ足元にあるナニか。そのこころに効く処方箋として、古人の言葉について掲示板を通してお示しできたら…と法語を掲示しています。
お寺とは自分にとって景色でしかなかった、と言った人がいました。
陽岳寺は大正震災の区画整理により、いまの位置にうつりました。これからも、この深川一丁目交差点にお寺がある意味とはなんだろうかと考えていきます。(副住職)


●ゆったり寺ヨガ:9月13・27日(第2・4金)19~20時(申込不要、会費1500円、レンタルマット300円)
■お寺ゲーム部:9月8日(日)12時半~17時半(途中入退室OK・申込不要・参加費無料ですが仏様にご挨拶ください)□17時~なむなむタイム(般若心経をお読みします)
詳細はこちら→ https://www.puninokai.com

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