【お知らせ】ご祈祷会 開催
11月24日午前11時より、令和5年ご祈祷と演芸会が行われました。ご参列の皆様とともに、過ぎゆく年の無事を感謝し、来たる年の無事を祈りました。演藝の時間は柳亭市童さんに楽しませていただきました。前座は柳亭市遼さんでした。
祈祷した「般若札」は令和7年の年回忌のお知らせとともに年内に郵送しました。
【コラム】グッドタイミング
先代住職が昭和から始めた「お寺のお便り」、平成より始めた「日本語の法要」や「ホームページ」など、陽岳寺は《伝える》ことを大切に考えています。11月最終日曜日開催の『ご祈祷と演藝会』はもともと法話会でした。焼香台に記名があります。
はじめるタイミング、続けること、一旦の着地を見せること。それぞれにさまざまな困難がついてまわります。お寺そのもの然り、人が生まれること然り。陽岳寺の創建は1637年、400年まであと13年です。
そもそも「はじめる・続ける・終わる」どんなことにおいても「良いタイミング」とは存在するのでしょうか。
陽岳寺のお葬式での日本語の内容に、
老いのページは何枚ページめくっても、老いばかりであることに気づく。「長寿社会、超高齢化社会となって」と聞くものの、自分自身にとっては、いつの年齢になっても初めてのことですし、その初めてのことに、本来は予測のつかないものです。
とあります。何歳になっても、本人にとっては、その年齢とは初体験です。
個人的に「あぁ良かった」と振り返る時がある。疑問を呈しておいてなんですが、答えはきっと「今」しかない。タイミング的に良い悪いと後から判断されることはあれど、そもそも良い悪いなど存在しない。事態がきた時こそ本当のグッドタイミング。世の中には、内戦、災害や病気、事故や事件、認めたくないことばかりです。良いタイミングもなにもない。なぜお正月に能登半島地震が起きるのか。ウクライナ侵攻が続くのか。あの人は亡くなったのか。認めたくないことばかりですが。
「グッドタイミング」の「グッド」とは“良い”ではなく、「正確な、正しい」という意味。今がその時だった。
今がその時だった。私たちの想いに関係なく時は流れ、事態は起きていく。縁起の法則に依るのです。悲しい。つらい。さみしいことばかり注目されますが、楽しい、喜ばしい、ほほえむことも今がその時だ。
◆仏教が言いたいこと「慈しみと敬いのこころをもって、感謝の日々を送ることが大切だ」
仏教には、慈しみと敬いのこころをもって、感謝の日々を送ることが大切だ、という理念があります。
ひとは一人では生きていない。つながりのなかに自分が存在する、と信じている。であるならば、つながりそのもの、つながっている人やものを大切にする生き方が導かれる。縁起の法則によって世の中は動いているのですから。
大切にする、とはどういうことか。つながりに関する事実について、確かにそうだなァと信じて、自他へ慈しむ・敬いの目線を送ることです。
自分を敬う。暴飲暴食しない、早寝早起きに適度な運動、陰謀論にまきこまれない。心の穏やかさを取り戻す。
他人を敬う。一個人として丁寧に対応する。なぜ他人に怒ってしまうのか。なぜなら自分はできるのに、他人が出来ないことにイライラするからだ。「自分にはできるのに、なぜできない!」「常識だ!」「私の言うことは正しい、話を聞いて当然!」私たちは、自分が自分が、と思ってしまう。……自戒の念を込めて書いています。
私はたしかにここで生きていますが、柔軟に理解しなければならない。柔軟心が試されている。無私が要る。ここを伝えたい。
誰かに物事を伝える、とは簡単なようで難しいものです。情報発信の方法が正しくとも、受け止められ方が真逆になることだってある。途中で切り取られることもある。
器から器に、水をぴったりうつすように。すこしも漏らすことのないようにしたい。
過不足なく、そして知りたいなという時に、タイミングが合うようにしたい。どんな時であったとしてもグッドタイミングなのですが……。
◆啐啄同時(そったくどうじ)
「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅語があります。
子鳥が鶏卵から出てこようとする時、殻を破ろうと内側からつつきます。親鳥はそれに応じて外側からつつきます。これが啐啄(そったく)です。
小鳥と親鳥とが殻を破る景色が、修行者と指導者との呼応に似ていると言います。たまごの殻が、悟りの壁です。そのかけあい、投げ合いがぴたりと合わさることも啐啄と言うのです。悩み苦しむ修行者と、殻を破ってほしい指導者。
親子の子育て、学校の勉強や、社員の教育など。しょっちゅう外からツンツン突いてもいいわけではないし、自分が出来上がってないのに内側から飛び出ては元も子もない。ぴたりと合わさる時こそ、またとない好機、すなわち啐啄同時です。
護寺会便りで色々なことを書いています。臨済宗妙心寺派小冊子「花園」をお送りしております。YouTube配信をしています。日本語の法要をしています。お墓参りや、お盆で伺ってお話をします。皆さまとの接点は、さまざまな形で、色々なタイミングがある。
陽岳寺YouTubeチャンネルは動画を用意しておけば、検索していつでも見られるように、という倉庫感覚でおります。
ただ、そうだとしても、作りっぱなしの意識は持っていません。この護寺会便りも「とりあえず出しておけ」といった気概を持っていません。届きますように、という願いをもってお書きしております。「色々なタイミングはあろうかと存じますが、願わくば良きご縁となりますように」と。
◆いまがその時だ
お釈迦さまの特徴のひとつとして「対機説法」があります。機に対して法を説く。相手の能力、素質や性質などにより法や教えを説いたのです。
聞き損ないは話し手の粗相、とも申します。お釈迦さまは、まだ伝えるタイミングではないだろう、待つ時もある、と思っていたこともあるでしょう。「いまがその時だ」と思って、お話しになるときもあったでしょう。
いまがその時なのだ。しんどいこと、楽しいことがあります。それでも。それでも。
令和七年は巳年。「身(巳)に付く年」と言われます。克己、己を調え、うち克っていきたいものです。
いやなことが目の前にきたら、認めたくありません。もちろん人為的な直接的要因は別です。そういったことが起きないよう、起こさないように予防するのみ。
りんご病、インフルエンザと感染症が流行しているようです。予防が大事。人混みではマスク着用が続きますね。気温の上下と寒暖差に体調がついていきませんね。どうか皆さま身体ご自愛いただき、よいお年をお迎えください。(住職)
- 陽岳寺YouTubeチャンネルを続けています。お仏壇やお写真の前で、一緒に読経できるようご用意しています。月2回オンライン坐禅会も。
- 禅粥[禅体験と中医学の話を聞いて、お粥をいただく会]1月16日(木曜)、2月20日(木曜)19~21時/会費2500円/おかゆをつくる関係で事前申し込み制。(詳しくは→www.yougakuji.org/zenkayu)
- 市童のらくご[2024年12月20日(金)、2025年2025年 1月23日(木)、2月13日(木)、3月12日(水曜)]開場19時 開演19時半/木戸賃:予約1500円 当日1800円/備考 マスク着用を願います。体調の悪い方はご遠慮ください。開催時間変更等はウェブサイトをご覧ください。(→ www.yougakuji.org/ichido_no_rakugo)