【コラム】当たり前。そういうもの。-LGBT-

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LGBTとは、頭文字から構成される言葉で、性的マイノリティの一部を表す総称として使われています。男性と女性、大人とこども、**人と日本人、と同じように、LGBTという枠に当てはめることはそもそもできないのですが、総称として便利に使うわけですね。

さて、とある研究機関によれば、LGBTに該当する方は約1割。学校の1クラス30人だとすれば、3人がそうだと。8.2%であれば約13人に1人となります。割合としては、左利きの人数とほぼ同数とのこと。

身の回りに左利きの人がいるのは、当たり前。そういうもの。

LGBTに該当する方がいらっしゃるのも、当たり前。そういうもの。

そういうもの・・・普通のことであるにもかかわらず、当事者の人権や社会全体の理解がおよばず、まだまだ解決すべき課題がある。仏教界においても、講習会を開催するなど少しずつ取り組みとして見直されてきております。

言えない、ということ

カミングアウト、と俗に言われますが、「自分は性的マイノリティである」と表明すること。

まわりの人すべてに、わざわざカミングアウトをする必要はない。しかし「言えない」のは辛い。

家族や友人など身近な人に相談もできない。家庭、学校や職場で受け入れられなければ、わたしの居場所はいったいどこなのだろうか・・・と悩みます。

ご家族に、友人に、同僚に、知らない人に、打ち明けられない。言い出せない。非常に孤立した環境は、つらい。
安心・安全に過ごせる居場所が、ひとには必要です。

 

お寺のはなしになりますが、お戒名やお墓のことなど、ご自身の終活について悩まれる方もいらっしゃると伺っております。

たとえば、同性パートナーの存在を親族には言っていなかったので、ご葬儀のときに一緒にいったとしても、席をどうすればいいか悩んだ、とか。・・・パートナーとしての立場で一緒にいればいい、と気を強く持って参列できる人はいいかもしれませんが、そもそもそんなことに元気のリソースを割く必要があるのか・・・。

たとえば、家族にも打ち明けていないのだが、死後まで偽るのはいやだと。戒名には女性・男性で違うと聞いたので、本当の性別の方でお戒名がほしい、俗名は刻まないでほしい、とか。

 

わたしは仏教では同性婚を認めないとか、そういうことはないと受け止めています。仏教はあらゆる生きとし生けるものの平等を説きますので、結婚式もできるでしょう。合同納骨墓にもおはいりいただけます。仏弟子としてのお名前ですから、身体の性別とはちがう形であろうとも、ご自身が望む性別でのお戒名でも構わないのではないか、戒めの名とは自分で決めるものです。あらゆる選択肢を用意できたらいいなとも。
終活どうすればいいのか・・・とても悩まれるかもしれません。同時に、こちらも勉強です。お互いにくわしく説明、お話を重ねることが求められます。

ただでさえ「終活」ということでふみだす勇気が必要なのに、なおのことです。

 

「ひとはみな苦しみを抱えて生きている」と、仏教のはじまりの人、お釈迦さまは看破されました。さまざまな苦しみ、ままならなさを8つ、四苦八苦にまとめています。苦しみを理解し、受け止め、乗り越えていきたい。人間のありようの因果の道理に対する”無知”が苦しみの原因とも言います。

知らないということ。これが一番おそろしい。であるならば、思い込みを持ってしまっているのが当たり前としつつ、こころを開いて、つまずきながら、つまずいた問題を材料に解決を果たしていくしかない。そう思います。

-お寺ブログ, 副住職のつぶやき

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